2007年09月13日(木)

「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせることはなさいません」Tコリント10:13



御言葉によると、クリスチャン人生
に試練は必ず臨むと書いてある。救
われた目的は、御子のかたちに変え
られるためだ。このように自我が強
く、自己中心で、頑固で、わがまま
な者が、御子に似た者と変えられる
には、どれほどの砕きが必要だろう。
しかし、御子のかたちに変えて行っ
て下さるとは、何と光栄な事だろう。
信じる時に、人々は勘違いするかも
知れない。祝福とは、ラッキーな事、
ハピーな事との価値観があり、信仰
するなら、悩み苦しみの無い、幸福
で、楽しい人生が約束されるのだと。
おとぎ話のように、めでたし、めで
たしで、人生終わり、天国へ入るの
だと。何となくそう思っている。だ
から、試練など受け入れられない。
とんでも無い事だ。それなら御利益
宗教だ。しかし、神はいっさいそう
いう事は言っておられない。信じる
なら、試練があるとはっきりと言っ
ておられる。聖められるためだ。だ
が、耐えられない試練は無い。耐え
られる範囲内の試練しか送られない。
やって来る試練は必ず乗り越えられ
る。神は試練と共に、脱出の道を備
えて下さる。脱出の道とは、試練を
逃れる事ではなく、試練のまっただ
中にあるものだ。だから、試練を受
け入れるなら、脱出の道を手に入れ
る事になる。試練に対する最善の道
は、受け入れる事だ。それは祝福の
道だ。
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試練の送り主が神様であること、必
ず益となることを信じて行く時に試
練は試練でなくなる。神様はたずら
に私たちを苦しめてはおられない。
それを信じて行けるのはなんという
幸いだろう。