2007年10月14日(日)

「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし、主は人のたましいの値うちをはかられる」箴言16:2



ある人が、対人関係において、自分は常
にフェアである姿勢を取ろうとして来た
し、そうしていると思っていた。人を偏
見で自分は見ていないし、そう見る人は
間違っていると思っていた。しかし、あ
る時、御霊に心を照らされた。心の奥深
くでは、自分はそんな人達のようではな
いと優越感を持って見ている事に気づか
され、又、表には出さないが、心の底で
は歴然と差別をしている醜い自分に気づ
かされた。パリサイ人の姿そのままだっ
た。神に反抗しているなら、わかりやす
いが、正しくあろうとし、神に従おうと
しているゆえに気づかない。御言葉と御
霊の光が臨む時、私たちも心の奥底が見
せられ、自分の本当の姿を知る。愕然と
するが、神はそんなものはすでにご存じ
の上で愛して下さっている。神は知って
おられるが、自分が自分の本当の姿を
知らない。試練を通して行き詰まりを
通して本当の姿を見せて下さる。余裕
のある時は、幾らでも自分を繕える。う
まく作れるが、切羽詰まった試練の時に、
全く余裕の無い時に現れる姿が、自らの
本性だ。言い訳や弁解せず、自分を正当
化せず、その自分を認めて行くことが成
長だ。
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御霊の光が来る時に、自分の姿が照らし
出される。普段気づかない動機や、心の
底がいかに醜いかを知る。しかし、神は
動じられない。そんなもの初めからご存
じの上で愛して下さっている。