2007年11月13日(火)

「それからイエスは・・聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに解き明かされた」ルカ24:27



二人の弟子達は、主のあえない、
無残な十字架の最期を見て、失
望落胆し、エルサレムを後にし、
とぼとぼと郷里へ引き揚げる。
そのエマオ途上だ。主がローマ
帝国をくつがえし、王国を打ち
立てるとの思いが余りにも強く、
その分、失望も非常に大きかっ
た。期待が大きければ、落胆も
大きいものだ。何もかも打ち砕
かれ、絶望し、郷里へ向かう弟
子達・・、そんな彼らを主は見捨
てられなかった。よみがえりが
信じられない弟子達。まさにそ
の信仰をよみがえらせるために、
主ご自身が彼らのもとへ向かわ
れた。失望落胆で、かたわらを
歩く主に気づかない弟子達に、
主はどこまでも他でもない御言
葉を語られる。御言葉を解き明
かし続けられる。「みことばの
戸が開くと、光が差し込み、わ
きまえのない者に悟りを与え」
る。原則として、御言葉を通し
て主と出会う。御霊が働かれ、
御言葉により目が開かれ、主が
わかる。御言葉が大切だ。御言
葉を離れて、幻や、感覚や、神
秘体験を求めると、間違った方
向へ行ってしまう。今、失意の
中にいて、主を見失っているだ
ろうか。主は決して見捨てず、
あなたのかたわらを歩いておら
れる。御言葉を解き明かし、ご
自身を現される。今、御言葉に
「心して」耳を傾けよう。御霊
が働いて、新たに主がわかるよ
うにされる。
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失意の時、元気のない時人に向
かうのでなく、まず御言葉に向
かおう。主が親しく語りかけ慰
め、励まして下さる。今朝も御
言葉にふれて世に出て行こう。