2008年02月12日(火) 「あなたの先祖たちの知らなかったマナを、あなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたを幸せにするためであった」申命記8:16
「あなたの先祖たちの知らなかったマナを、あなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたを幸せにするためであった」申命記8:16
「あなたを苦しめ」「あなたを試み」 と神は言っておられる。苦しみが臨む と「なぜ?なぜ?」と不平不満、つぶ やき、怒りが出て来るが、試練を通し てしか得られないものがある。「苦し みに会う前には、私はあやまちを犯 し」、人は頑なで強情であり、何と自 分を正当化し、周囲を責め、非を認め ない者だろう。苦しみにより砕かれて、 自分の力に頼れず神に追いやられる。 もうなすすべなく、神にしか頼れない ところにまで追い込まれる。その時、 初めて真に神を知る。拠り頼む事の意 味を知る。幸いな経験だ。涙の谷を過 ぎる時も、そこが泉の湧く所となる。 すべての人は試練に会う。思い通りに 行かないから試練だが、その時に、環 境や他人のせいにし、愚痴と不満で苦 しみに飲まれて行く事もできる。又、 訓練として受け止めて行く事もできる。 心を屈折させるのも、心素直にするの も、自らの選択だ。そしてその結果を 刈り取る。「人がその子を訓練するよ うに、主があなたを訓練される」訓練 として受け止めるなら、測り知れない 益を得る。平安な義の実を結ぶ。心を 頑なにせず、試練の中で主に従おう。 後に「苦しみにあったことは、私にと って幸せでした」と必ず言える。苦し みは私達を、神に近づけてくれる。 ------------------ 苦しい状況から逃げてしまおうとした 時、ふと思った。ここを通っているか ら神様に頼り、ため息のように祈り続 けているのだと。主は私の右の手をお おう影と、意識しながら生きている。 順境の日が今より幸せなのだろうか。