2008年05月14日(水)

「わたしたちの日ごとの糧をきょうもお与えください」マタイ6:11


神は、出エジプトの民たちを、荒野で4
0年間養われた。天からマナを降らせら
れた。毎日1日分だけを集めるよう命
じられた。今日の分だけだ。6日目だ
けは2倍集めるようにと。7日目は安
息日であり、集めることができないか
らだ。しかし、ある人々は、命令を聞
かずに、欲張って翌日の分まで取り込
み、残しておいたが、それは虫がわき、
悪臭を放った。又、ある人々は、6日
目に2倍集めないで、安息日に取りに
出た。しかし、安息日には、何も見つ
からなかった。神はこの事を通して、
「わたしの教えてに従って歩むかどう
かを試みられ」たのだ。40年の間、
1日たりともマナの無い日はなく、神
は荒野で民を養われた。これは「日ご
との糧」を表わしている。神はその日
の必要を必ず与えて下さる。明日の心
配は無用だ。明日、明後日の糧を求め
よとは言っておられない。「今日の」
糧だ。明日のことは明日が心配する。
今日1日の糧があれば充分だ。明日の
心配は不要だ。能天気でよいという意
味ではなく、神が心配していて下さる
から不要なのだ。「あなたがたの思い
煩いをいっさい神にゆだねなさい。神
が・・心配してくださるからです」の通
りだ。今日、糧が与えられている事を
精一杯感謝して、明日は神にいっさい
お任せしよう。神はその人を、どんな
時も平安と喜びの中に守って下さる。
・・・・・・・・・
主は思い煩いの無い人生を与えたいと
のお心だ。主がいっさいの配慮をし、
心配をしていて下さる事を信じよう。
明日は委ねて、今日の御心を精一杯行
なう事に心を集中しよう。心を平安に
守って下さる。