2008年06月13日(金)

「アブラハムはおよそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした」ローマ4:19

アブラハムは75歳の時に神の示し
に従い、カランを出てカナンの地に
移り住んだ。しかし、子が無く、しも
べエリエゼルを相続人にと考えてい
た。その時に、神により、あなた自身
から生まれ出る者が、跡継ぎとなると
言われ、満天の星を見せられ、子孫
はこのようになると告げられた。ア
ブラハムは信じた。神はそれを彼の
義と認められた。その後、子供は尚
も生まれず、サラの提案のもと、肉
の思いと行動により、奴隷ハガルに
よりイシマエルを得た。86歳であ
った。その後も、約束はあっても、
状況的には何一つ動かない、何も見
えない歳月が続いた。厳しい忍耐の
時であった。それから13年後、9
9歳の時に、主が彼に再び現われ、
子孫を与えると語られた。そして、
100歳になってイサクを得た。ア
ブラハムは常識的には不可能である、
厳しい状況の中で、神ご自身を信じ
た。望みえない時に望みを抱いて信
じた。目に見えたなら信仰は必要ない。
見えないものを信じるから信仰なの
だ。それは厳しい状況を見るのでな
く、約束して下さった神を見続ける
信仰だった。アブラハムには数々の
失敗があった。しかし、信仰の父と
言われ、神はその「信仰」を喜ばれ
た。あなたも今、厳しい状況だろう
か。「胎の死んでいることを認めて
も」、見えるとことでなく、神の約束の
言葉に立とう。
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聖書を開けばたくさんの祝福を約束
して下さるみことばがある。絶望的
な状況に目をふさがれていても、約
束のみことばに目を向ける時、心は
平安にかわる。何という感謝だろう。