2008年08月04日(月)

「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」ヘブル4:16

ある人が、目まぐるしく多忙な日々
を過ごしていた。次から次へとこな
さなければならない仕事が目の前に
あり、少しづつ、神が後回しになっ
て行った。その内、祈りの時間も失
せて行った。自分の思い、自分の知
恵で歩むようになった。祈りが無く
なり、御言葉も心に全く入らなくな
った。心に響いて来なかった。悪循
環になり、ますます自己中心になり、
イライラ、ピリピリして、思い通り
にならない周囲をさばいて行った。
仕事も更に忙しく、心に余裕がなく、
しんどくてたまらなかった。余りに
心が苦しくなり、聖書を開いた。し
かし、御言葉は全く心に入らない、
ただの文字にしか過ぎなかった。祈
ってもみたが、何の変化も無かった。
心重く、しかし心渇いて次の聖日に
礼拝に行った。その時、礼拝で賛美
する十字架の歌詞が、心にぐいぐい
迫り、しみた。何もかも捨てられた
主、死にまで、実に十字架の死にま
で従われた主、主のその犠牲の愛、
主の真実が、乾ききったスポンジが
水を吸い込むように、心にしみ込ん
で来て、メッセージ共に心が溶かさ
れ満たされて行った。真実なる主は、
苦しみの中から祈った、その小さな
祈りを確かに聞かれたのだ。その祈
りに答えて下さった。どんな小さな
祈りも聞かれている。主のもとに行
き告げよう。
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忙しいならその事を、イライラする
ならその思いを祈りの中で告げてみ
よう。霊的状況が悪いように思えて
も事ごとに祈るなら実は、神様にと
ても近いのではないだろうか。