2008年09月13日(土)

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです」ヤコブ1:14

「試み」という言葉は「試練」と「誘
惑」のどちらにも使われている。「試
練」は神から来て、「誘惑」はサタン
から来る。神は誰をも罪に誘惑される
事はない。決して無い。神から来る
「試練」は受け入れて、耐えるべきも
のであり、そうするなら必ず一段階成
長する。試練は成長のためのものだ。
サタンからの「誘惑」は逆で、決して
受け入れずに拒否し、立ち向かうもの
だ。それを受け入れると罪を犯してし
まう。だから、主が「主の祈り」で、
こう祈りなさいと言われたように、
「私たちを試みに会わせないで、悪か
らお救いください」と祈る事は大切だ。
誘惑から守られるように、日ごとに祈
る必要がある。サタンの誘惑の巧妙さ
は、物事がうまく運んでいる時に、来
る事だ。試練の時は、むしろ神にすが
り神を呼び求め、神に頼る。何の問題
もなく、万事がうまく行っている時に、
人は油断する。順調なので神に頼らず
とも、物事が進み、祈ることを怠る。
自分でやって行けると思ってしまう。
ダビデのバテシバとの姦淫も、油断が
あった。部下が生死をかけて戦ってい
る時に、夕方に起き出すという怠惰な
生活をしていた。獲物を探し求めてい
るサタンにつけ込まれた。順調の時こ
そ、身を引き締め、神に感謝を献げ、
神を喜び、恵みを数え、更に神に近く
歩もう。今、油断がないか。心引き締
め、主に向かおう。
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本当に油断大敵だ。罪を犯してしまっ
た時を振り返ると、そこに確かに油断
があった。心に隙があった。ちょっと
した隙にサタンはつけ込む。罪から守
られるために、心を整え身を慎み日々
祈っていよう。