2009年03月13日(金)

「もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ガラテヤ8:15



人を恨んで憎しみで、がんじがらめになった事があるだろうか。
悶々状態で、相手が目の前にいようといまいと、四六時中、心は拘束され煩悶する。
苦しいのは相手ではなく自分だ。

妬みも同様だ。心が妬む相手に全時間拘束されてしまう。妬みは憎悪へと増幅し、危険なものへと増長して行く。

そして更に憎み、妬む、自分自身が嫌で、自己嫌悪の深い泥沼に陥る。どう生きたいのだろう。煩悶の中にいたいのか、憎しみや妬みから解放され、相手を愛して生きたいのか。これは自らの選択だ。

御霊は愛を与えて下さるが、自分は果たしてそうしたいのか、それを選ぶかどうかだ。解決は、妬みや憎しみを抑え込む事ではなく、ふたをし無い事にする事ではない。

抑え込んでも、厳然とそこに存在するので、事ある度に出て来る。
まず御前に、憎しみ、妬みを認めることだ。悔い改めて、神のもとへ持って行くなら、神がそれを引き受けて、対処して下さる。

出て来る度に、神を呼び、委ね続けることだ。人にはできない事が、神にはできる。
御霊によって、からだの行ないを殺す事は、一瞬一瞬、神にありのままの汚い、醜い自分を見せ、認めて行くことだ。

「明らかにされたものはみな、光」だ。神を頼り、神を選択し続けること、その時、御霊によって打ち勝って行く。
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次々と湧き上がる肉の苦い思いの度に、神様に助けを求めよう。ありのままの思いを告げていこう。それは何度も続くだろうが、必ず神様が触れて下さり、勝利へと導かれる。