2009年04月09日(木)

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇46:10



この「やめよ」の意味は、他の訳では「静まって、わたしこそ神であることを」になっている。

「静まって」という意味は、言葉を発せず、黙ってという意味ではなく、自分で立ち、動き回るなという意味だ。人間的な力に頼るなという事だ。

危急の時、突然の事態発生の時、どうするだろう。
まず驚き慌て、パニックになり、走り回り、自分を救うための、できうる限りの対処をし、その後、神を思い出すだろうか。

又は、神に祈る事は一応祈るが、対応は自分の力でしているだろうか。
又、すべてを委ねてのつもりだが、後ろの橋を焼き尽くせず、万一の場合の逃げ道を残しているか。

つまりは、信じきれないので、委ねきれない。全部を明け渡すことはできない。いざという時のためにと、一部を握って取っておく。

結局は自分の力でしている事になる。目に見えないものを信じるのは勇気がいる。
今一度よく静まって、自分の心を探ってみよう。本当は何に頼っているのだろう。

人は被造物なので、必ず何か頼らねば生きて行けない。
もし神に頼らなければ、間違ったものに頼ることになる。自分に頼り、人に頼り、物に頼ることになる。

正しく神に頼ればどんなに幸いだろう。その時、神が神であられることを、真に知って行く。自らの心を吟味してみよう。
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トラブルが起きた時、一番欲しいものはなんだろう。即刻の解決だろうか。人の励まし、人の同意、助言を求めて右往左往する。目の前のものにすがりつくのをやめよう。静まって最善の解決が神様から来る事を信じよう。