2009年09月12日(土)

「マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません」ルカ10:42

こんな事を書いた著者がいた。「私たちは聖書を読み、祈りたいと思う。しかし、
今はその気分ではない。気分が乗らない時に、行なうのは良くない。気分が良く
なるまで先延ばしにした方が良い。もっと適った機会があるはずだ。

又、忙しくて時間がないと言う。次々とやって来る目まぐるしい多くの物事が私
たちの気を散らす。朝刊を読む事で一日を始める。そして、次から次へとなすべ
き事の山に、時間があっという間に過ぎて、もう夕刊がやって来る。

種々の雑用、会うべき人々、幾つかの会合、目の前に起こる様々な事柄、つい時
間をかけてしまうテレビ番組、今日も聖書を読む時間が無かった・・私たちの1
日の時間はどうなっているだろう?本当は時間があるのだ」。

ベターが、ベストを圧迫する。どうしても必要な事は一つだ。二番目に必要な山
のような物事に忙殺され、本末転倒になり、たましいがやせ衰える。仕事や趣味、
様々な事は罪でなく、むしろ良いことであるゆえに、流されて気づかない。

ある人は時間が無いから仕方が無いと、忙しさのせいだと思っていた。しかし、
時間の余裕がある時には、他の事をしている自分に気づいた。時間の問題でなく、
自分の心の頑なさの問題だと気づかされた。

「選んだのです」選ばない限り、時間は無い。選び取ろれるよう祈ろう。

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急ぎ足の時は、周囲の風景に気づかないように、自分の事で忙しい時は、主の御
声に気づかない。ほんの少し立ち止まって、主に心を向けてみよう。ほんの少し
の交わりから、心が変わり、生活が変わって来る。