2009年11月12日(木)

「こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました」へブル6:15


アブラムは、子孫が天の星のようになるとの、主の約束を信じていた。しかし、目に見えるところ、なかなか成就しそうにない。その頃は、夫婦に子供が無い場合は、召使いに子供を産ませ、その子を跡継ぎにすることが、普通であった。

それで、子供ができない中、この慣習にならって、サラは一つの提案をした。主が産めないようにしておられるのだから、女奴隷によって子供を持つようにと。
アブラムにとれば、自分の言い出した事でなく、妻の申し出であり、サラの言う通りに女奴隷ハガルの所へ入った。

しかし、重大な事は、この時アブラムは祈らず、主の御心を求めなかった事だ。自分の思いで「肉」で動いてしまった。肉は、一見良い考えに思えるが、必ず問題を引き起こす。ハガルは、子供のないサラを見下すようになった。

ハガルはイシマエルを産んだ。イシマエルはアラブ人の先祖となり、今日のパレスチナ紛争に至っている。アブラムが人間的判断によって、良かれと行なった肉の行動は、後世にまで甚大なトラブルとなった。アブラムが100歳の時に、肉が、人間的力が絶えた 時に、イサクが与えられた。

今、あなたの状況はどうだろう。神の約束を待てないで、自分で動くなら、イシマエルを産み出してしまう。肉の知恵と力で動かず、神が動かれるのを、約束を忍耐して待とう。それが最も美しい神の時であり、何より神の栄光が現わされる。
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たち動く事はたやすく出来るが、何もせずじっと待つ難しさに不信仰をいつも示される。しかし神様の言葉は必ず実現される。その御約束を最後まで、しっかりと見つめ、待ち続けたい。