2009年12月13日(日) 「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4
「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4
ここでは、私の願いを叶えて下さったから、主を自分の喜びとするとは言ってい ない。その逆だ。主を喜びとし、主を第一として行く時に、願いが叶えられると。 又、主が与えて下さるものや、事柄を喜びとせよと言っていない。私たちはあれ やこれや祈り求める。主は求めよと言って下さっている。願う事は良いのだが、 注意が必要だ。その願うものや事柄だけに心が向き、集中し、一杯になっていな いだろうか。 叶えられた事柄が、与えられたものが嬉しいばかりで、与え主に目が向かない。 癒された10人のらい病人の内、9人は万歳とばかりの大喜びで、世に帰って行 った。 願いがすべてになるなら、突き詰めると、与えてくれるなら誰でも良いという事 になってしまう。そして、幾ら祈っても与えられない時に、主に対し失望し、又、 不平不満、果ては怒りで一杯になる。 主は、私たちの思いを遙かに越えて、私たちに最善のものを備えておられる。主 を忘れて、自分の願望だけになっていないか。 「主よああして下さい、こうして下さい、あっちへ行って下さい、こっちへ来て 下さい」主を動かして、指図する祈りだろうか。 「主をおのれの喜びとせよ」。自分の願望ばかりで、主のお心はどうなのだろう。 視点を変えて、「主が私に望まれる事は何ですか」主を第一にし、主に感謝して 行く時、主が心に願いを起こして下さり、その願いを叶えて下さる。 主の願いが、自分の願いとなる。その願いは御心に適っているので、100%叶 えられる事になる。「主が私に望まれる事は何ですか」の祈りを献げてみよう。 ・・・・・・・・・・・・・・ 気がつくと、自分の願望ばかりになっている。「ああして欲しい、こうして欲し い」軸が自分になってしまい、では、主はどう思っておられるのだろう?「主の 願いは何ですか」自分軸でなく、主に軸を置けますように。