2010年04月12日(月)

「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です」ローマ8:5



「肉的なこと」とは、どんなものだろう。自己中心的な考え、ネガティブな考え、肉の快楽だとは想像がつく。しかし、もし教会に忠実に出席し、奉仕をしていたとしても、自分の欲望のため、自分の誉れ、栄光のためにするなら、「肉的なこと」だ。

又、「御霊に属すること」とは、御霊からくる思いであり、信仰的、創造的、肯定的であり、そこには喜びと平安がある。すべての事についての感謝がある。私たちは自分の考えを、コントロールすることは困難だ。自分の心はちぢに乱れ、思いは幾らでもさまよう。どうすれば良いのか。

御霊に自分の心を明け渡して、支配していただくことだ。その時、御霊が正しく導いて下さる。信仰生活が喜びであり、幸福感をもって、歩んでいる人々がいる。又、そうでなく、いつも愚痴と不満でいっぱいの人々もいる。どこが違うのか。

いつも喜びのある人は、喜びに目を向け、考えている人であり、愚痴だらけの人は、愚痴に目を向けている人だ。環境は全く関係がない。環境が原因ではない。その人の思いがどうかだ。いつも恵みを数え感謝している人は、幸せだ。

何に目を留め、何を考えているかで、生き方が決まる。「現在の状況がどうであれ、神は必ず良くして下さる、神を信じていよう」これは御霊による思いだ。肉の思いと御霊の思い、どちらの思いで生きているだろう。
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肉の思いを見て生きるなら一瞬の喜びもまた肉に妨げられて不満となる。肉を捨てて御霊の思い、御霊の導きを見つめて生きて行こう。注がれている恵みの一つ一つを謙遜に受けて揺るがないの平安の中におられる。