2010年05月13日(木)

「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」詩編23:2



私たちの身体は、食事を抜くとどうだろう。力が入らなくなる。食事をして肉体は、元気づく。病気の時に、身にしみる。何も食べられなかったのが、食事し始めるや、みるみる体力が回復して行く。車もどうだろう。ガソリンが無ければ、走るだろうか。同様に、霊も補給が必要だ。

時に、余りに多忙な日々が続き、デボーションも持てないままの日が続くと、どうだろう。心がしんどく疲れて来ないだろうか。普段なら気にならない、ちょっとした事が気になり、傷つく。イライラして、ピリピリする。人の事が気になって仕方がない。カッカする。この原因は、霊的に乾ききっていることだ。

霊的補給が必要だ。つまり、主との交わりが必要だ。ガソリンやオイルが減ると警告ランプが点く。霊的警告ランプ点灯状態だ。魂が酸欠状態だ。しばし、主の御前に心を静めて、祈ってみよう。不思議に新しい力が来る。

ある人は連日の残業で、帰宅は深夜、もう疲労はピーク、身体は倒れる寸前状態、心はカラカラ。ある日、限界を感じ、帰宅するや、自分に部屋に直行し、一人になり、主と交わった。主の御前にじっとおり、心をことごとく打ち明けた。隅々まで新たにされ、すっきりさわやかになり、息を吹き返した。ある人は、職場の昼休みに、公園に出て、心を主に向けて祈った。その午後は、心に潤いと平安があった。今、オイル切れなら、しばし、心を主に向けよう。
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目の前に来るものの勢いに反応しながら生きているからこそ、一人で神様と静かに交わる時が何よりも大切だ。昨日まで満たされていても、今日は苦い思いが湧いている。朝ごと、日ごとに霊の糧を受け、満ち満ちて世に出て行こう。