2010年07月13日(火)

「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えられないような試練に会わせるようなことはなさいません」Tコリント10:13


ある人に試練が臨んだ。職場で辛く当たられ、いじめに会い、体調を崩してしまった。相手の態度や言葉に傷つく。辛くて苦しくてたまらず、とにかくその痛みを、主のもとへ持って行った。帰宅しては、涙ながらに祈っていた。

すると、心落ち着き、何とか翌日も出勤できた。しかし、状況は悪く、体調も悪くなって行き、心がふさがれるようで、瀬戸際のところまで来た。神様の慰めや励ましは、わかるのだが、辛くてしんどくて、もう進めず、主の御前にしゃがみ込んだ。

もう何もできず、ただ主の御前にいた。そこで時間を過ごしていると、自分の姿が見せられた。心の底の、怒り、恨み、憎しみ、敵対心、憎悪・・。
自分は被害者であり、相手が悪いとしか見えなかった。

しかし、紛れもなく、自分は罪を犯していた。自分の罪を悔い改めた。そして、今の状況も、自分自身も、すべて神様にお委ねした。委ねきった時、主の御手にこの事態が移り、受け止めて頂いたと信じることができて、心の底からの安堵に満たされた。

初めての経験であった。その時から、自分の見方が変えられた。辛く当たる相手にも何か心に問題があり、相手も苦しいのだろう。同情の思いが湧いた。しばらくくして、部署替えの人事異動があり、驚いた。すべてが確かにご計画の中にあることを覚えさせられた。
---------------
真実な神様は、決して無意味な試練を送られない。乗り越えられる試練であり必ず脱出の出口があるとの約束は、苦しみのあっての大きな支えだ。不安や焦りもあるだろう。その度に祈り委ね、試練のトンネルを神様と共に越えよう。