2010年09月12日(日)

「しかし今、こどもは死んでしまった・・・私はあの子のところへ行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない」Tサムエル12:23


ダビデは病気の我が子のため、断食して、切に癒しを祈り続けた。必死であった。
しかし、その願いは叶わず、子供は死んでしまった。すると、その死を知ったダ
ビデは、意外な行動を取った。身体を洗い、着物を着替え、主の宮に入り礼拝し
た。そして、食事を取ったのだった。

王を見ていた家来達は非常に驚いた。あれほどまでの切なる願い、子供を思う心、
しかるに、その子供が死んでしまった、その悲嘆は一体どうなるのだろうかと。
ところが、子供が亡くなるや、起き上がり、食事をするとは。ダビデは主からの
御心を受け入れた。

私達も様々な事態の中で、このダビデから学べる。自分の願いがある。その願い
は願いとして、主に祈り求めるべきだ。何も思い煩わないで、ことごとく心の願
いを、求めを主に告げよと言われる。主に願って行って良い。願うべきだ。

しかし、時にその結果が自分の願いと異なる場合がある。自分の思い通りでない
事がある。「イエス」だけでなく「ノー」の答えがある。それは、どんなに強い
願いであっても「ノー」が答えであり、それが主の御心なのだ。

その時は、その「ノー」をダビデのように受け入れる事だ。ダビデは潔かった。
「ノー」の答えを受け入れた。今、「ノー」の答えを受け取っているだろうか。
主の御心として厳粛に受け入れよう。受け入れられないなら、そう出来るよう祈
ろう。「ノー」を受け入れる事により、そこで主を新たに知り、霊的に大きな前
進を見る。

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主の御心は一つであり、自分の思いとは違う事をしばしば経験する。自分には自
分の思いが最善にしか見えないが、主のみ思いは異なり、主の道はもっと高い。
遙かに素晴らしい、良き別の道を、すでに用意して下さっている。