2011年01月12日(水)

「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」ローマ8:29


私たちは自我が強く、自分の思い通りに生きて行きたい。それゆえ自分の思い、考えに固執する。強い思いがあり、それは自分自身であり、手放す事が出来ない。そのため自分が変わる事が困難だ。

自我を砕くために、自分を変えるために、主が用いられるのが、目の前に起きている事態であり、状況だ。つまり、私たちを変えたいがために、悩み、問題、ストレス、嫌な事、辛い事が起きている。それの見方を間違うと、神を責め、文句を言い、反抗的になる。

一羽の雀も父の許しなしに地に落ちる事はないように、父の許可なしには、私たちに何一つ来ない。目の前の問題に目を奪われずに、その背後の神に目を向けよう。どういうふうにそれが起きたとしても、大事な事は、神は私たちを砕き、変えるために、それを用いられるという事だ。

問題が解決されて、無くなったとしても、自分が変わっていなければ、同じ問題が来た時に、全く同じ事を繰り返す。落ち込んだり、無気力になったり、無視したり、又は反抗的態度になったりする。そんな自分を変えようとしておられる。

そこを見ないで、問題だけに目を奪われるなら、的はずれになる。目の前の状況は神のご計画であり、神が変えようとしておられる所をよく悟れて、御霊によって、キリストの似姿に変えて頂こう。その視点に立って問題を受け取ろう。
------------
人にはそれぞれに、神様のご計画により砕きの御手が臨む。それを払いのけてしまっていないだろうか。自分が変わることが問題の解決であり、万事が益と見てみよう。祈りも行動もまた変わって行く。