2011年03月13日(日)

「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです」創世記3:13


アダムとエバは、神のようになりたいと、神に従わない事を選択し、罪を犯した。
その結果は、目が開かれ、神を恐れ、避けて隠れた。神は彼らに悔い改めの機会
を与えられた。「あなたは・・食べたのか」と問うて下さった。チャンスであり
「ごめんなさい。私は食べました」と言えば良かった。

しかしアダムは「この女が」と責任転嫁し言い訳した。更に「あなたが・・置かれ
た」と神のせいにまでした。エバを置いた神が悪いと。恐るべき罪の性質であり、
自分の内にもあるものだ。ダビデは罪を犯したが、いっさいの言い訳をせず悔い
改めた。それで主のあわれみが臨んだ。

ある人が、仕事に忙しかった。デボーションが出来ないのは、時間が無いからと
思い込んでいた。時間さえあれば、時間が欲しいと。そんな時、数日の休暇が取
れた。しかし、自分の好きなように時間を使い、結局デボーションはしなかった。
その時に初めて、時間の問題でなく、自分の心の頑なさの問題であると教えられ、
悔い改めた。

ある人は、お金があれば献げられるのに、収入が少ないと嘆いていた。ある時、
予定外の収入があった。その時、予備にと弁解し貯えにし、決して献げはしなか
った。お金の問題で無く、惜しいのだ。

「献げたくありません。私はけちです」と認めるなら変えられる。何に対しても
言い訳をしているなら、一生そのままだ。自らはどうだろう。言い訳が無いだろ
うか。いっさいの言い訳を一度止めてみよう。自分が見えて来る。

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言い訳、弁解をしようとするなら、幾らでも出て来る。どうにでも言える。自分
を正当化しようとする罪の性質だ。言い訳している自分に気づき、言い訳を止め
て、自分の姿を認めよう。主の赦しを経験し、恵みにおおわれる。喜びと平安が
来る。