2011年07月13日(水)

「あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます」Tサムエル10:8


イスラエルの民が、神の警告にも関わらず、切に王を願った。そして、神が選ばれた王がサウルであった。サウルは、父親に心配りをし、人に敬意を払うような、穏やかな人物であった。が、霊的な事柄に対する資質はどうだったのだろう。サムエルの事も若者から聞いて初めて知ったようだ。サウルは、「待ちなさい」との神の命令を守ることができなかった。

「私が着くまで七日間、そこで待たなければならない。私がなすべき事を教える」とのサムエルから与えられた指示に従わなかった。サムエルを待たずに、自分で全焼のいけにえと和解のいけにを献げた。しかし、これは祭司にしか出来ない事柄であり、このところでも霊的資質に欠けていたようだ。この点が、後のダビデと大きく違った。サウルは、人を気にし、このままでは民が自分から離れ去ると思い、してはならない事をしてしまった。

しかし、状況がどうであれ、明確な主の言葉があり、どこまでも主を信頼し、待つべきであった。私たちもどうだろう。形は違っても、状況がどんどん自分にとって不利益な、都合悪い方向に進む時、主を待ち望む事は非常に難しい。待てずに、自分で何とかし、食い止めようとし、又、方向を変えようと対処してしまう。
しかし、肉の思いで、自分で動くのではなく、どこまでも御言葉にとどまり、主を信頼し、主を待つことを学ばせられる。
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御言葉を与えられているのに、忍耐できず自力で解決へと動き出し失敗する。そして何を見て、何を信じていたのかと反省する。動揺する時こそ、力ある主の御手の下にへりくだり主を待とう。