2011年12月11日(日)

ケリテ川のほとに身を隠せ。そして、その川の水を飲まなければならない。わ たしは烏に、そこであなたを養うように命じた」T列王17:3



神はエリヤに、ケリテ川のほとに身を隠せと命じられた。アハブの追っ手からか
くまうためだった。言われた通りに、エリヤはケリテ川の畔に逃れた。カラスに
「養わせると言われたが、そんな事があり得るのだろうか。実際ゴミ捨て場に群

り、荒らし、食べも物を貪る、貪欲なカラスが、食べ物など運んで来るのだろう
か。

それは取りも直さず、神がエリヤを養うとの意味だった。チョロチョロと水が流
れ、段々と日増しに枯れて行くケリテ川の畔で、自分にはどうにも出来ない、何
も無い所で、エリヤは自分の無力を知り、徹底的に神ご自身に拠り頼むという信
仰の訓練を受けた。ひでりの中で、序々に川の水も干上がって来る。どんなに不
安で、心細い事だろう。

ケリテ川のほとりと命じられているので、水を求めて探し回る事もできず、かと
言って、もう水は枯れて来た。このままでは死んでしまう。エリヤがした事は、
ひたすら、主からの、次の言葉を待つ事だった。主を待ち望むことだった。私た
ちも、ただただ主の言葉を待ち、又、主を待ち望む状況に置かれているだろうか。

動き回るのでなく、自分で何かをするのでなく、じっとひたすら主の言葉を待と
う。「すると、彼に次のような主のことばがあった。シドンのツァレハテに行
き・・」必ず、主からの次の言葉、導きが臨む。待ち続けよう。主は、待つ力を養
っていて下さる。

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問題に直面した時、まず自分で動き回らず、じっと主を待とう。主の言葉を待ち、
主の導きを待とう。自分の知恵、判断、思いで動くなら、主を脇に置いたまま、
主を離れてしまう。じっと主を待とう。「すると、次のような主の言葉があっ
た」と、主の導きが臨んで来る。