2012年01月13日(金)

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」マタイ19:26


主のもとに、一人の青年が来た。資産家であり、名誉も地位もあり、人々からの尊敬も受けていた。律法を守ろうとし、真面目に生きて来た。しかし、何かが足らなかった。すべてを持っているのに、心に満たしたが無かった。外見幸せを絵に描いたような彼だったが、その心には虚しさがあった。そのため、永遠のいのちを得るために何をすればよいかと、主に問うた。

何もかも持っているのに、何かが足らない。主は十戒の戒めを教えられた。しかし、戒めは守っている、何がまだ必要なのかと答えた。すると主は、持ち物を売り払い、貧しい人に与えよと言われた。自分の富、自分の力、自分の思い、自分のプライド、そういうものを捨てて、わたしに従えと。すると青年は顔を曇らせ悲しんで主のもとを去った。

「悲しん」でとあり、怒ったのではなく、反発したのでもなく、そう出来たらよいだろうが、自分には出来ないことがわかっていた。肉には強い力があり、捨てることができない。富も、名誉も、地位も、自分の力も、プライドも決して捨てることができない。どうにもできない。主はそれをご存じだ。「それは人にはできないことです」。

自我は強い。しかし、主には救いがある。「神にはどんなことでもできます」。主に求める時、主が従えるようにして下さる。青年は主のもとを去ったが、私たちは主に「できません。助けて下さい」と求めよう。
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自分だけを見ていたら悲しんで立ち去るしかない私達だが、主がおられる。主に助けられたなら、自分の思いをはるかに越えて前進できる。私には出来なくても主がおられる。今日も喜んで歩んでいこう。