2012年07月13日(金)

「イスラエルの王はヨシャパテに言った『私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください』」T列王22:30


イスラエル王アハブは、ラモテ・ギルアデをアラムから取り返そうと、ユダ王ヨシャパテを誘った。ヨシャパテはアハブの申し出に、主の言葉を聞くよう要請した。アハブは預言者400人を集め、伺いを立てると、彼らは「上って行くように」と口を揃えて言った。しかし、預言者ミカヤは正反対の預言をした。アハブが悪霊に惑わされている事、殺される事を告げた。

二人の王は、アラムと戦う事になった。アハブは逃れようと巧妙に、自分は変装した。敵を欺き、自分は助かろうとした。しかし、アラム王の命令は、アハブだけを狙えというものだった。敵は、ヨシャパテをイスラエル王と間違ったが、彼が祈った時、敵は彼を追うのを止め、引き返したのだ。神の関与だ。そして一人の兵士が、「何げなく」放った矢が、何とアハブに刺さり「王の胸当てと草摺の間を射抜いた」彼は死んだ。

兵士は、別にアハブを殺そうとしたのではない。まさに神が関与し、事を成された。ミカヤの預言は成就した。偶然は存在しない。神の完全な主権と支配をここに見る。人がどう画策しようと神の御心が成就する。厳粛な事だ。それゆえ、私達の人生も日々の生活も、主に委ねよう。主に明け渡す時に、私達一人一人への
最善のご計画を一つ違わず、人生に成し遂げて下さる。
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先の先まで心配し思い煩わなくても、神様を信頼してお任せすれば良いのだとこの箇所から学ぼう。自分の限界を知り、限界を超えてまで画策するのは徒労だ。明け渡してしまおう。