2012年12月13日(木)

「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです」マタイ18:35


私たちの人生の大きな苦しみの一つに、「赦せない」心がある。赦せないことほど辛く、苦しいものはない。人生が真っ暗になってしまう。どんなに楽しく過ごしていても、その事が頭をよぎった途端、心は辛く、重苦しくなる。心がその事で一杯になり、楽しみがぶち壊しになる。ペテロが何度まで赦すべきかと、主に問うた時に、7度を70倍するまでと言われ、主は、王としもべの話をされた。

6000億の借金をどうやっても払えないしもべを、王はあわれんで、赦し免除してやった。そのしもべが100万貸していた仲間を赦さず、牢に投げ入れた。それを聞いた王は怒って、そのしもべを借金全額返済まで投獄した。赦さない心は、牢獄の中だ。獄につながれ、自由がなく暗闇の中で、がんじがらめだ。苦しいのは相手ではなく、自分だ。主は、獄から出して下さる。しかし、自分の側の意志と決意が必要だ。罪の性質は、赦せないのではなく、赦したくない。

主は赦せるようにして下さるが、そうして欲しくない。頑なな自我がある。「自分にはどうにもできません」と主の御前に出よう。相手は変わらない。幾ら相手を避けて、相手から逃げても、次の環境で、同じく別の相手がいる。自分が変わることがみこころだ。主は心を変えて、自由にして下さる。「できません」と主に祈ろう。
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赦したくないために、いつまでも受けた傷を確認しているより解放されよう。主を十字架につける程の自分の罪を神様は赦して下さった。赦せない心が主により取り扱われ、自由になろう。