2013年03月13日(水) 「それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである」ルカ19:4
「それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである」ルカ19:4
ある人が、自分が嫌で仕方が無かった。対人関係が難しくて、う まく人と接っする事ができない。いつも引っ込み思案で、本当は 楽しく交わりたいのに出来ない自分・・。暗い自分、もっと明る い性格なら・・人を楽しませることができたなら・人に好かれる のに。 しかし、プライドが人一倍高く、素直でないそんな自分が嫌で、 嫌な所ばかりが目につく。自己憐憫に陥り、せっかく近づいてく れる人にも、突っ張ってしまう。相手は戸惑い離れて行ってしま う。寂しさと孤独感、劣等感、心満たされず虚しさでいっぱいだ った。そんな時に、教会へ行き、ザアカイのメッセージを聞いた。 ザアカイと自分がそのまま重なった。主はザアカイの心のすべて をご存じで、初対面なのに「ザアカイ」と名を呼ばれ、「急いで 降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まる」と。家に泊ま るとは、丸ごとザアカイを受け入れていることだ。「この自分の 家に?」罪を犯しているザアカイは、驚いたことだろう。大喜び で主をお迎えした。主のご愛に触れて、ザアカイは悔い改めた。 そして主により注がれた愛は、ザアカイを変えてしまった。財産 の半分を貧しい人に施し、だました人には4倍にして返すと。施 しなど考えた事も無かったろう。主で心が満たされ、執着してい た富から解放された。その人は、その日のメッセージが自分のた めに語られていると感じ、主を信じた。心の底の渇きを主はご存 じだ。主は、求めに必ず答えて下さる。 ---------- ザアカイがザアカイのままで受け入れられたように。主は渇いた 心を決して見過ごさず大切に扱って下さる。私達よりも先に主が 私達に目をとめて下さっているからだ。