2013年05月13日(月)


「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか」ヨハネ5:44

人には、人に愛されたい、受け入れられたい、評価されたい、認められたいという思いが、根深くある。主に従い、主に喜ばれたいと、主に向くのではなく、人からよく思われたい、人の評価が欲しいという肉の思いがある時、方向を間違ってしまう。神と反対方向に向いて行ってしまう。様々な弊害が出て来る。

例えば、親が子供に過剰期待をする時、子供は親の期待に応えようとする。自分の気持ちはありながら、自分とは別の親の期待に一心に応えて行く。その時に、底には自分の思いがあるが、ずっと抑え込むので、いつしか自分の気持ちがわからなくなる。自分を見失って行く。自分で自分がわからなくなる。良い人を演じている場合も同様だ。周囲から良い人と思われたいがために、ひたすら周囲の期待に合わせて行く。そして、自分がわからなくなって行く。

その場合、よく見られたいがために、本当の自分を隠すので、自己欺瞞に陥り、自分でも、自分がわからなくなる。平安と喜びが無い。そして、御言葉はどう言っているかでなく、人にどう思われるかと生きて行くので、神が見えない。もしこの状態なら、主は救い出して下さる。人から良く見られたい、それをきっぱり捨てることだ。人にどう思われても良い。そこから離れて、主の御声に従う決心をし、一歩〃従うことだ。主は必ず真の平安へと導いて下さる。そう出来ない自分を、御前で認めることから始めよう。
--------------
目に見える人を鏡にして、私達は反応しがちだ。だんだん自分を見失い平安がなくなる。神様が見えていると自分の姿もはっきりと見える。み言葉を読みながら自分の本当の姿を知り、その私を変わらず愛して下さる主を確認し、主にあって自立した人生を生きよう。