2013年07月13日(土)

「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあ なたがたに、まことの富を任せるでしょう」ルカ16:11


管理人が主人の財産を乱費していた事が発覚した。それで、解雇を
言い渡され、会計報告を出せと言われた。そのため、彼は債務者を
次々呼んで、借金を減額にしてやった。そうすれば、解雇された時
に、彼らが自分に有利に取り計らってくれると踏んだのだ。

主人は臨機応変な、この抜け目のなさをほめた。主はこのように
「不正の富」で自分のために友を作れと言われた。ここでの「不正
の富」というのは、悪事で得た富の事ではなく、「この世の富」と
いう意味だ。永遠との対比での、この世のことだ。不正=この世、
の意味であり、この世の富を忠実に、御心通りに使って、天に宝を
積めという事だ。

この世にいる間に、この世の富を用いて、天に予め投資ができる。
そうするなら、天に帰った時に、大いなる報いを受ける。神から任
された、この世の富を御心通りに、賢く使うようにとのことだ。会
計報告を出すのは、所有者でなく、管理人だからだ。所有者なら自
分の物であり、どう使おうと自由で、出す必要はない。

しかし、管理人は主人に報告の義務がある。私たちもこの世の富は
管理であって、所有ではない。主人に喜ばれるように、主人に御心
を尋ねながら使う責任がある。富は容易に偶像になる。富に執着し、
振り回される。富の主人でなく、奴隷になってしまう。

「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはでき
ません」。神と富に仕えるなと言われたのでなく、仕える事は出来
ない、不可能だと言われた。任されたものを祈りつつ、御心に従い、用いて行こう。喜び与えられ、そして天で豊かな報いを受ける。

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与えられたものに執着し、握りしめてしまうと、主が見えなくなる。
自由や喜びが失せてしまう。主に渡して、委ねて行く時、主と共に
任されたものを管理し、喜びもって生き生きと歩める。そして、絶
えず、天につなげて、今を生きて行ける。