2013年08月13日(火)

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、 雄羊の脂肪にまさる」Tサムエル15:22 


信仰生活は、主に聞き従うことが大切だ。どんなに誠実で、献身的
で、一生懸命であっても、主の御声に聞き従わなければ、何にもな
らない。例えば、この世界でも、会社で上司から命じられた事を無
視して、自分のしたいようにしたらどうだろう。それで、自分は、
どんなに誠意を持って一生懸命やったと主張しても、無意味で、的
はずれだ。

サウルは、サムエルから「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖
絶せよ。容赦してはならない」と、主の命令を受けたにかかわらず、
最も良いものを惜しみ、聖絶せず、つまらない値打ちのないものだ
けを聖絶した。

そして、サムエルに問いただされた時に、「民は、最も良いものを
惜しんだ。主にいけにえをささげるため」と言った。民がした事と、
民に責任転嫁し、更に「主にいけにえをささげるため」だと取って
つけて言い訳した。

「主の言葉を退けたので、主もあなたを王位から退けた」と。聞き
従わない事は、小さな事ではなかった。主の御声や御霊の促しを聞
き流していないだろうか。主に聞き従わず、自分の思い通りにやる
事は、自分を神の上に置くことになる。神より自分の方が偉いとい
う事になる。

ペテロは、「深みに漕ぎ出て網を下ろせ」と言われた時、自分の思
いと正反対だった。しかし、主の言葉通りに網を下ろした時に、大
漁を見た。破格の祝福にあずかった。今、示しがあるなら従おう。

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御霊の示しや、促しがある時には、必ずサタンの妨害があり、肉の
思いが出て来る。自分の考えや経験、常識の方がもっともらしく思
える。従わなくてもよいように思える。妨げが来る事によく心して、
祈って、目の前の御霊に示しに、御言葉に従おう。