2013年10月12日(土) 「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日 にお見えにならず・・私はまだ嘆願していないと考え、思い気って全 焼のいけにえをささげたのです」Tサムエル13:12
「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日 にお見えにならず・・私はまだ嘆願していないと考え、思い気って全 焼のいけにえをささげたのです」Tサムエル13:12
サウルは、サムエルから、先にギルガルに下るように、自分が着く まで7日間そこで待つように。なすべき事を教えるからと命じられ た。だがサウルの目の前に、緊急事態が生じた。戦車に騎兵に、海 辺の砂のように多いペリシテの民が攻めて来たのだ。この戦いを前 に、主に嘆願しなくてはならなかった。 しかしサムエルは到着しない。約束の日から7日間待ち続けたが、 しかし、尚もサムエルは来なかった。民は恐れて、もうサウルから 離れ、散って行こうとした。それで、サウルは自分で全焼のいけに えを献げた。しかし、これが決定的に、取り返しのつかない「愚か なこと」だった。 サムエルにより「あなたは愚かな事をしたものだ。主が命じた命令 を守らなかった。今は、あなたの王国は立たない」と。一応サウル には理由があった。敵を目の前に、抜き差しならない、にっちもさ っちも行かない状況なので、こうするしか仕方がないではないか、 主に従わなくても良いのではと思った。 現状と主の言葉を見る時、御言葉に反してでも事態を何とかしなけ ればと。どうにもならないではないかと、自分を正当化してしまう ので、罪意識が失せる。主に従わなくても良いと思ってしまう。 私たちも、そのような状況に陥った時に、サウルに臨んだ、自分を 正当化してしまう誘惑に気をつけよう。サウルになってしまう。主 は主の御声に聞き従うことを、全焼のいけにえよりも喜ばれる。従 わないことは偶像礼拝の罪だと。御言葉に従えるよう祈ろう。 ・・・・・・・・・・・・・ サウルは示された通り、待っていれば、主は必ずみわざをされた。 御言葉と状況が相反する時、目に見えるところに大きく影響受けて しまい、見えるところがすべてに思えてしまう。しかしそんな時こ そ、御言葉のほうを選択し、御言葉に従おう。