2013年11月12日(火)

「『主よ。この人はどうですか』・・『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか』」ヨハネ21:21


フィギュアスケートの競技で、時々、選手がヘッドホンをして、順番を待っている光景が映る。他人の点数を聞いて心を騒がせないためだ。心を乱すことなく、自分の演技に一心に集中できるように。他人の演技を見て、他人の出来、不出来に心が動揺し、本番で緊張の余り、ジャンプで転倒してしまうケースがよく見られる。様々な思惑が入り、自分の演技に集中できない結果だ。せっかく普段の練習で重ねた力が十分発揮できない。自分の歩みが、他人により影響受けてしまう。

私たちの信仰人生も同様だ。人と比較して心騒いだり、心乱されるのでなく、主を見上げ、自分に任された賜物を見い出し、訓練し、十分に発揮する事が大切だ。人と比べると、コンプレックスで落ち込んだり、不安になったり、勝ち負けに走り、どこまでも競争相手が基準になってしまう。人に、自分が左右されてしまう。人との比較ではなく、自分に与えられたものを、主のために十分に発揮して行くなら、そこに競争相手は存在せず、主と自分の関係だけだ。

そして、そこには優越感から来る肉の喜びではなく、御霊の喜びがある。本当の喜びだ。御霊の賜物を使って行く時に、御霊の喜びが臨む。人との比較から解放されるのは、「わたしに従いなさい」と言われる主だけを仰いで、自分に与えられた、自分への御心を歩んで行く事だ。
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御霊の導きゆえにここまで何とか歩んで来られた。それは隣の人とは全く違う歩みで、比較のし様がない。自分に語られる主の導きにだけに感化された自分らしい実を結んで行きたい。