2014年02月10日(月)

「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます」詩篇130:5



よく最も難しい事の中の一つが、「待つ」ことだと言われる。信仰生活で、待つことは難しい。今すぐに結果が欲しい、目に見える形が欲しい。目に見えない状態で、待つことは本当に難しい。あなたもそうだろうか。今は、自販機にお金を入れると、すぐにジュースが出て来る。コンビニは24時間営業で、いつでもすぐに欲しい物が手に入る。各自が携帯を持ち、連絡もすぐに取れる。世界中リアルタイムでメールが行き交う。便利な時代だ。

何でもすぐに欲しいものが手に入るので、ますます「待つ」ことが困難だ。なかなか待てない。信仰生活でも、すぐに行動に移りたい。すぐに結果が欲しいのだ。今すぐに欲しい、今すぐに物を持ちたい。しかし神は、神の前に座し、静まって、時間をかけてじっくり祈り、御声を聞いて、導きを確信して歩めと言われる。

導きを求め、確信するためには、じっと御声に耳を傾ける必要があり、祈りが必要だ。そうでなければ、自分の思いと自分の力で、自分の判断で行動し、必ず失敗してしまう。行き詰まり、つまずいてしまう。皆、肉の性質があり、自分の思い通りにやりたい。しかし、それなら肉に従い、サタンに従う事になってしまう。神の栄光どころでなく、サタンに用いられてしまう。

あなたも今、待ち望む事が必要だろうか。サタンは急かし、しかし神は導かれる。焦りはサタンの誘惑だ。肉の思いで動かないために、サタンに欺かれないために、主を待ち望もう。必ず御言葉を与え、確信与え、御心へと導かれる。 
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何でも結果が知りたく、出来るだけ早く納得したい私達であっても一瞬の先のことも知ることは許されていない。主を待ち望もう。御前に座りマリヤのようにまず主のことばを待ちたい。