2014年03月12日(水)

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか』」創世記3:9


エデンの園で、サタンから誘惑を受けたアダムとエバは罪を選び、罪を犯してしまった。その結果、彼らに変化が生じた。以前は神との間に妨げのない、親しい、喜び溢れた愛の交わりがあったのに、その神の前に出られなくなってしまった。「主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」、罪を犯した結果、「恐れ」が生まれた。

そして、神の「あなたはどこにいるのか」との呼びかけに、「私は裸なので、恐れて、隠れました」と罪を犯した重大なことについては、全く触れない。そして「あなたは、食べてはならないと命じておいた木から食べたのか」と問われた時に、「食べました」ではなく、「この女が、私にくれたので、私は食べた」とエバのせいにした。自分は悪くない、自分にくれたエバが悪いと。

エバもエバで、蛇が悪いと、へびのせいにした。これがまさに人間の罪の性質だ。自分の罪を認めない。自分の内にも気づくだろうか。神のほうから隠れた彼らに呼びかけ、悔い改めの機会を与えて下さっている。「あなたが裸であるのを誰があなたに教えたのか」と、どうしてこういう事になったのか、目を向けるようにさせて下さっている。

私たちに起こる一つ一つの出来事、病気やけが、対人関係の問題・・それは、「あなたはどこにいるのか」との神の愛をもった呼びかけだ。いろんな起こる出来事を通して、主との関係に気づかせ、更に主との深い交わりに導いて下さっている。祝福とされて行く。
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信仰生活ことごとく神に触れ、神を知る経験が喜びだ。問題の中でなお真実に「あなたは、どこにいるのか」と呼びかけてくださる神と対峙できる。もう一度神と出会える。