2014年09月12日(金)

「・・すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます」ヨハネ10:4 



羊は、羊飼いの声を聞き分ける。しかし、様々な「声」がある。す
べてが主の御声ではない。思いに湧き上がる、サタンからの火矢の
声があり、自分の肉から湧き上がる欲望の声があり、又、他人の声
がある。色々な「声」が行き交っている。

サタンは神の御声を真似て、光の御使いに変装する。神から離すた
めに、神の御声と錯覚させる。そのため、どこから来ている「声、
思い」なのか、根源がどこなのか、識別する必要がある。確かめる
ためには、それは御言葉と合致しているか。聖書全般を通して、主
のお心に反していないか。

もし、その声に「苦み」があるなら、それは主からのものではない。
「苦いねたみと敵対心があるなら・・そのような知恵は上から来た
ものではなく・・地、肉、悪霊に属するもの」とある。又、次に、
その声は平安を与えるかどうかで判別できる。主からの御声は、い
のちと平安を与える。もし、その声で、心が暗くなり、落ち込み、
不安、思い煩い、焦燥、怒り、苦しみが生じるなら、主以外の声だ。

又、急かすものも、主からではない。主は不安を与え、焦らせ、急
かすのではなく、平安与え、導かれる。又、その声と「環境、状況」
を照らし合わせると良い。主からの御声は、状況も合致して行く。
そこに矛盾はない。主の御声を聞き分けるために、自分の思いや願
望を明け渡すよう示される事があるが、聞き従って行く時に、豊か
ないのちへと導かれる。
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励ましに似た叱咤激励の声がサタンからのものであったと、焦り落
ち込まされた後に気づく。主の言葉でなければ良さそうに聞こえて
も何の潤いもない。主のいのちの御声を聞きわけられることは本当
に感謝だ。