2014年11月12日(水) 「それで、彼らに言われた。『なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい』」ルカ22:46
「それで、彼らに言われた。『なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい』」ルカ22:46
祈りが大切なこと、祈りは呼吸であり、信仰生活にどうしても必要 であり、生命線だと、誰しもわかっている。祈らなければならない のだが、なかなか祈れない。主婦もサラリーマンも学生も、皆、忙 しい生活をしていて、自分には時間が無いからだと思う。仕事に勉 強に、家事に育児に忙しい。 しかし、突如の休みが与えられた時に、気づく。時間があっても祈 らないことに。休日は、休日で、行楽や好きな事をするのに、忙し い。祈る時間は無い。時間の問題ではないことに気づかせられる。 よく考えてみると、祈らないのは、祈らなくてもやって行けると、 思っているからではないか。主に頼らずとも、自分の力で十分やっ て行ける。自分の肉の力に頼り、自分で解決しようと、物事に当た って行く。 主に頼る必要が無いから祈らない。その証拠に、不安で不安でたま らない事に関しては、必死になって祈る。祈らないことは、実は 「高ぶり」から来ていると言われるが、確かにその通りではないだ ろうか。高ぶる人は、自分はやって行ける、自分が間違いを犯すは ずなど無いと信じている。 しかし「誘惑に陥らないように祈っていなさい」とは、主の言葉だ。 常にサタンの攻撃と誘惑にさらされている。祈らなければ、すぐに サタンにやられていて、尚、気づかない。私たちは実は弱く、貧し い者だ。祈らなくてもやって行けると思っていることにまず気づこ う。 ----------- 誘惑に陥る前から守りを祈るべきだが、心がざわつき、不安や恐れ に遭遇して祈り始める。平安を奪われるまで気づかない。祈るまで がサタンとの戦いだ。いつも感謝を主に献げながら幼子のように祈 っていよう。