2014年12月12日(金)

「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです」マタイ7:25 



賢い人も愚かな人も、どちらも御言葉を聞いている。賢い人は
「わたしの・・ことばを聞いて、それを行なう」。愚かな人は
「わたしの・・ことばを聞いて、それを行わない」。愚かな人
は、御言葉を聞かないならわかりやすいが、聞いている。礼拝
で御言葉を喜んで聞き、御言葉を学ぶ人だ。

御言葉を拒否したり、御言葉に反抗しているなら、自分でも自
覚できるが、喜んで聞いているので、自分で気づかない。御言
葉を聞いて、それで満足してしまう。聞いて、わかった気にな
ってしまい、そこで終わる。聞くだけで行なわないなら、自分
の生まれつきの顔を鏡で見るようだと。

自分をながめてから立ち去ると、すぐに見たものを忘れてしま
う。御言葉を聞いて忘れてしまい、結実する事がない。真理の
言葉は行なう時に初めて、実を結ぶ。有難い御言葉を聞いて、
良かった、良かったで、終わりだろうか。何も無い時はよいが、
試練が来た時に、はっきりと違いが現れる。

砂の上に建てた家は立ち行かず、倒れてしまうと。御言葉を実
行して行く時に、御言葉が血となり肉となり、どんな暴風雨が
来ても倒れない。聞いた御言葉を一心に見つめて離れない人は、
事を実行して行く。御言葉を見つめて離れず、そして、行なえ
るよう、御霊の助けを求めて祈ろう。今目の前に示されている
御心があるだろうか。
-------------------
御言葉を聞き、立ち上がるとすぐにこの世の流れと対峙する。
御心はどこにあるのか、何をめざしていたのか。すぐに忘れ、
世と同化させられてしまう。御言葉にとどまっていよう。