2002年04月11日(木)

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでした」(ヘブル11:13)


 神は祈りに答えてくださる。時には
「イエス」であり時には「ノー」だ。
しかし「ノー」も祈りの答えなのだ。
ある夫婦は日々赤ん坊を授けて下さる
よう祈っていた。ある時は絶対に与え
られると確信し、ある時は絶望に襲わ
れ、挫折を感じながらも祈り続けた。
その夫婦には子供が授けられた。
同じ状況にある友人がいた。
彼らも祈り続けた。しかし、彼らには
与えられなかった。どちらも信仰によ
って祈ったが片方は与えられ片方は与
えられなかった。サラもその歳を過ぎ
た身であるのに与えられた。
しかし、パウロが肉体のとげを取り去
られるよう祈った祈りは聞かれなかっ
た。キリストはご自身もみこころなら
十字架を取り除いて下さるよう祈られ
たが十字架はみこころであり従われた。
私達の願いはあるが、それを神のみこ
ころに明け渡して行く事だ。
私の願いでなくみこころの通りにして
下さるようにと。