2015年02月10日(火) 「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」エペソ4:26
「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」エペソ4:26
「怒っても、罪を犯すな」と「怒り」と「罪」を分けている。私た ちは、ともすると「怒る=罪を犯す」と思い、怒り=罪にしてしま う。そのため、怒ってはならない、どんな時もクリスチャンはニコ ニコしていなければならないと思う。しかし、怒りと罪の間の線が 必要だ。でなければ、「訓戒」や「教育」「しつけ」が不可能にな る。 主も非常に怒られた。祈りの場であるべき境内が、商売の場とされ ている事に怒り、「宮の中で売り買いする者たちを、皆追い出し、 両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された」と。「私たち の大祭司は・・罪は犯されませんでしたが」とあり、主は罪を犯さ れなかった。だから、怒り自体は罪ではない。 そして「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機 会を与えないように」とある。怒り続ける事が問題だ。その抑圧さ れた怒りは、悪魔に機会を与えてしまう。鬱積し、復讐と姿を変え て行く。それはよくニュースで見るように、殺傷事件にまで発展し て行く。カインは妬みが憎しみに高じて、アベルを殺害してしまっ た。 普段の生活で、相手に腹を立て、黙り込みを決めるのも一種の復讐 だ。私たちはまず主のもとへ行こう。その怒りを主にことごとく告 げよう。主との交わりの中で、心を落ち着かせて下さり、主が指針 や示しを与えて下さる。御言葉を与え、具体的にすべき事も教えて 下さる。 -------------- 怒るにはそれなりの理由があっても、それを正当化しそれで心を落 ち着かそうとするのは間違いだと学べる。黙っていても心で攻撃し ているなら罪だ。すぐにその感情を主に告げよう。