2015年04月12日(日)

「私の時は、御手の中にあります」詩編31:15 



アブラハムは「わたしが示す地に行け、大いなる国民とする」との
示しに従い、75歳の時に生まれ故郷を出た。しかし、妻サラとの間
に子供はできず、100歳になった時に、サラに子供が与えられた。2
5年間待った。その間、数々の失敗もし、苦しみを通りながら神の
訓練を受けた。

ヤコブは、父とエサウを欺き、逃亡し遠方の伯父のもとに身を寄せ
た。そこで神の御手により厳しい訓練を受けた。伯父にだまされ、
ラケルをめとるのに14年をかけた。だましたヤコブはだまされた。
20年間暑さ寒さの中で苦労した。「あなたをこの地に連れ戻す。約
束したことを成し遂げるまで決してあなたを捨てない」の通りに、
「神の時」に神により連れ戻された。

ヨセフは訓練に次ぐ訓練であった。兄たちに売られてエジプトへ。
エジプトでは身に覚えの無い罪で牢獄へ。神が正義ならなぜこんな
事に?ヨセフへの訓練であった。苦しい歳月であったが、後に宰相
に引き上げられた。ヨセフは砕かれ、練られ、築き上げられた。ダ
ビデは、サウル王に命を狙われ続け、常に死と隣り合わせであった。

逃亡を続け、その恐怖、不安はいかばかりだったろう。この状況が
いつまで続くのかと訴えている。訓練は辛く悲しいが、主の器へと
練られ造り変えられる。そして、その渦中では、苦しみが永遠のよ
うに思えるが、主は「時」を定めておられる。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」。主の時に、事
態は動き、成就して行く。

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「時」が偶然でなく、運命にほんろうされているのでなく、神の御
手の中に、神の主権と支配にある事を覚える時に、見方が変わる。
自分には八方ふさがりの中で待つ「時」が、実は最愛の御手に握ら
れた、ご計画のプロセスの中だ。