2015年12月13日(日)

「自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のため に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」ガラテヤ6 :8 



「思い違いをしてはいけません」とあり、思い違いをしてしまう。
人は蒔いたものを、必ず刈り取ると。これは法則であって、例外は
無い。あさがおの種を蒔いて、スミレの花が咲く事は有り得ない。
あさがおの種はあさがおの花だ。ナスはナス、キュウリはキュウリ
だ。蒔く種は正しくその結実として現れ出る。

霊的な原則も同様だ。しかし、「時期が来て、刈り取る」なので、
即、その場で結果が出るのではない。だから思い違いをし、どうっ
て事ないと、主を侮ってしまう。私たちは日々の生活で、絶
えず、御霊か肉に蒔いている。御霊に従って生きるか、肉の欲望に
従い、自分の思うように生きるかだ。

人へ愛と親切の種を蒔けば、喜びと主からの報いを刈り取り、自分
にも愛が返る。祈りの種を蒔けば、答えを刈り取り、宣教の種を蒔
けば、魂の救いを刈り取る。献げ物の種を蒔けば、豊かな物質的祝
福を刈り取る。又、肉に従い、悪意と憎しみの種を蒔けば、そのよ
うに返る。

「善を行なうのに飽いてはいけない」「失望せずにいれば、時期が
来て、刈り取ることになる」と。善を幾ら行なっても結果が無いよ
うに見え、時にうみ疲れるかもしれない。しかし神の時が来た時に、
必ず刈り取る。だから失望せずに、蒔き続けるようにと。主がはっ
きりと言っておられる。必ず報いがある。

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蒔かないものを、刈り取ることは決してない。御霊の導きに従い、
時間、労力、賜物、財、を用いて行く時に必ず豊かな報いを受ける。
すぐに目に見える結果が現れるのではないが、必ず神の時に刈り取
ると。御言葉は真理で、真実を経験して行く。