2016年02月11日(木)

「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」詩編73:28  


 

主は、私たち一人一人にご計画をお持ちだ。最高の道を用意してお
られる。だから、そのご計画の道を歩むことが、自分にとって最大
の平安と喜びの道になる。そのため御心を求め、御心を悟ることは
大切だ。だが、その主の導きを求めることにおいて、よく行き詰ま
ってしまう。祈ってはいるのだが、導きがわからない。

その時に、自らの内側を御霊に探っていただくことは必要だ。内側
には強い自分の思いがあり、どうしても自分の思い通りに進みたく
て、心はすでに定まっていたりする。これが無意識である事もある。
自分の強い思いが邪魔するので、主の導きがわからない。経験ある
だろうか。心探られる時に、御霊は気づかせて下さる。

又、うすうす導きがわかるのだが、受け入れ難い場合がある。敵を
愛しなさい、人を赦しなさい、和解しなさい等は、はっきりさせた
くない。従いたくないからだ。先延ばしにしたい。しかしそうなら、
何だか主との間が、ぼんやりし、遠く感じてしまう。自分が、本当
に求めている事は何なのだろう。不都合な事にはふたをする、平坦
な問題のない人生だろうか。

信仰者の心の奥は、何があっても、主と近く歩む人生、苦しみもあ
るが、その中で更に深く主を知って行く歩みではないだろうか。非
常に苦しい試練により、非常に真実な主、非常に深い平安を知って
行く。神の近くにいることこそ自分の幸せだ。
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自分の思い通りが幸せではないと知っている。真に魂が喜び、平安
を得るのは、主の導きに従った時ではないだろうか。迷いやすく、
たわみそうな足だからこそ主の近くにいることが幸せだ。