2016年03月13日(日)

「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりして いるのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12



ある人が、家の職業が恥ずかしくて、嫌で、決して人に言わなかっ
た。子供の頃から劣等感のかたまりだったと。決して恥ずかしい職
業でなく、立派な仕事なのに、人に知られなくなかった。絶対に友
達を家に呼びたくなく、対人関係にまで劣等感は影響をもたらした。

主に出会った時に、初めて心が変えられて、解放された。私たちも
それぞれの形で劣等感を持ってしまう。劣等感はどこから来るのか。
人との比較から来ると言われている。劣等感と優越感は根は同じで、
劣等感があるから優越感を持とうとする。そして優越感を持とうと
すると、劣等感に陥る。「高慢」を根にグルグル回る。

人と比較すると、競争心、張り合い、妬みが生まれる。妬みは、人
生を滅ぼしてしまう。サウルはダビデへの強烈な妬みが憎しみへと
増幅し、殺意にまで至った。妬みゆえの殺人は、昨今も様々なニ
ュースで目にするところだ。「ねたみや敵対心のあるところには、
秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがあるからです」とある通り
だ。

あるがまま主のもとに行こう。主は取り扱い、解放して下さる。真
に自由にして下さる。主から愛されていて、人と比較する必要がな
いこと、自分に与えられているものに、しっかり目を留め、賜物を
用いて行くことをさせて下さる。そして「愛は・・人をねたみませ
ん」、主の愛を更に知り、主にあって満ち足りることが秘訣だ。

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妬みや張り合いは、平安が失せ、心が辛い気持ちでいっぱいになる。
それらはいつも比較から来る。人との差異でしか自分を量る方法が
無いので、サタンの罠に陥ってしまう。ありのままを主に持って行
き、祈ろう。御霊の気づきと取り扱いが来て、平安へと導かれて行
く。