2016年05月13日(金)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ、あなたはそれをさげすまれません」詩篇51:17




カインもアベルもどちらも、主に献げ物を持って来た。カインは地
の作物から持って来て、アベルは、最良の初子の羊を、自分自身で
持って来た。すると、アベルの献げ物は受け入れられ、カインの献
げ物は受け入れられなかった。神のえこひいきだったのか。しかし
私たちの神、主にはえこひいきはないと御言葉にある。

受け入れられなかったカインはひどく怒り、顔を伏せた。そのカイ
ンに、主は「なぜ憤っているのか、顔を伏せているのか。あなたが
正しく行なったのであれば受け入れられる」と。正しく行なってい
たなら、顔を上げられるではないかと。

カインが顔を伏せていたのは、正しく行なっていなかったからだっ
た。それをカイン自身もわかっていたから、顔を上げられなかった。
ここで心砕き、悔い改めて、献げ直せば良かった。しかしカインは
心を固くし、その激しい怒りは妬みとなり、何と神に受け入れられ
たアベルに向かった。そしてアベルを殺害してしまった。罪は更な
る罪へと向かう。

ダビデもバテシバとの姦淫で、悔い改めれば良かったが、罪は罪を
生み、ウリヤ殺害へと至る。人は失敗する。しかし悔い改めること
が出来る。神は砕かれた、悔いた心を受け入れて、全き赦しが与え
られる。罪赦されるとは何と幸いな事だろう。赦しが備えられてい
る。心頑なにせず、立ち止まって、悔い改めよう。でなければ更な
る罪に向かってしまう。
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主の十字架によって再び御神の前で顔を上げることができる。何と
感謝なことか。罪を示されたなら自分を正当化するより、赦しを受
けとる平安を選びたい。いつも神の前に顔を上げていよう。