2016年08月13日(土)

「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この 二つは対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思う ことをすることができない」ガラテヤ5:17 



主を信じて新しく生まれて以来、毎日の生活で、常に目の前に二つ
の反応がある事を経験する。御霊の反応と、肉の反応だ。御霊から
「〜をするように」との示しが来ると、肉は「したくない、自分に
は出来ない、その事はまた後で」と言う。例えば、御霊が「今、こ
の空いている時間に祈れ」と促される。肉は「祈ったらいいんだろ
うな」と思いつつ、ぐずぐずして、結局行動に移さない。

雑誌に手が伸びたり、テレビをつけてしまったり、せっかくの御霊
のチャンスをつぶしてしまう。何かを献げるように示されると、肉
は「無理しなくてよい」「誰かが献げる」「これぐらい献げても何
になる」と言う。そして無し崩しになる。

御霊は「思い煩うな」と言うが、肉は「自分で何とかしなければ、
どうする」と決して思い煩いを握って放さず、どんどん最悪のシナ
リオを描いて行く。批判されたらどうだろう。神は「まず祈れ」と
言われる。しかし肉は「やり返せ。言い返せばスッとする」と言う。

神は「すべての事について感謝しなさい」と言われ、肉は「この状
況で、どこが感謝だ」と不満で一杯だ。肉は御霊に逆らい、我を通
す。根深い肉の性質が、自分の内にあることをよく踏まえて、だか
らこそ絶えず御霊に拠り頼もう。
「わたしを呼べ」と言われる主にまず祈って行く時、御霊を選択し
て行くことができる。その一つ一つの選択を通して、信仰が培われ、
新しい人が培われ、成長させて下さる。

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「肉は御霊に逆らい」の通り、絶えず逆らう。肉は自分の思いを通
したい。思い通りにしたい。しかし御霊に従った時の、平安と喜び
も知っている。何にも代えられない。自分では出来ないからこそ、
祈ろう。人に出来ない事が神には出来る。従えるよう助けが臨む。