2016年12月13日(火)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6


思い煩い症、心配症の人は多い。まだ起こっていな事を、ああなっ
たら、こうなったらどうしようと、心配で心配でたまらない。自分
で描いたシナリオであり、妄想だ。主は現実の問題を助けて下さる
が、亡霊のごとき、まだ起きてもいない事柄をどうこうできない。
又、過去の事でも、くよくよと思い煩う。

あの時ああしていれば、この時こうしていれば・・そうすると又、
自分を責め、そして周囲を責め、堂々巡りとなる。「過去と他人は
変えられない」の言葉通り、過去はどうやっても変える事は不可能
だ。ラザロが死んでしまった、マリヤやマルタのように、「主よ。
もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょう
に」と、あの時ああなら、とくよくよ悔やむ。

しかし、主はこの箇所で「もしあなたが信じるなら、あなたは栄光
を見る」と言われた。過去の事態を受け止め、益とされることを信
じて立つ時、みわざを見、栄光が現されると。又、目の前に困難な
状況があるなら、そこに「主を認め」て、信仰によって受け止めて
行く時に、主は道をまっすぐにして導くと。

つまり、御心なら困難な状況を取り除かれ、環境を変えられるし、
又、その状況を御心とされるなら、そのまっただ中で、心に平安を
与えて下さる。心が平安であるなら、問題は問題で無くなってしま
う。
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過去も未来も、今の自分にはどうしようもない。今の時を主と共に
生きよう。どんなことでも主に助けを求めながら、祈りながら歩ん
でいこう。頼りない歩みを主はまっすぐに導いてくださる。