2017年01月13日(金)

「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」民数記12:3 


指導者として、出エジプトを果たしたモーセは「地上のだれにもま
さって、謙遜であった」と記されていて、謙遜の代表のように言わ
れている。しかし、最初からそうなのではなかった。パロの娘に拾
われ、王女の息子となったモーセは、地位、名誉、財、力、あらゆ
るものを持っていた。

人々からちやほやされ、学問を身につけ、文武両道、非常に有能な
人物であった。自信に満ちていて、自分こそが同胞を救えると思い、
40歳の時に行動を起こしたが、同胞の理解は得られず、結局、ミ
デアンに逃亡する事となった。何も無い、見渡す限りの荒野で、モ
ーセは一介の羊飼いとして生活した。

王家の王子が、荒野でただの羊飼いとなった。人からの称賛、栄光、
プライド、輝かしき将来、何もかもをはぎ取られた。しかしモーセ
は、この荒野で砕きに砕かれ、時間をかけて、へりくだった、柔和
な者へと造り変えられて行った。神はモーセを偉大な器とするため
に、着々と取り扱われていた。

高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。モーセは荒
野で砕かれ、整えられ、40年後、今こそ、間に合う器として、民
をエジプトから救い出すという偉業のために用いられた。

神はへりくだった者を用いられる。神は、私たちを神の器として用
いるために、砕かれる。今、もし荒野にいるなら、訓練の時だ。砕
かれ、整えられ、主のために用いられる。へりくだって、今いる場
所で、神に従って行こう。
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荒野にいれば、いかにして脱出するかと心悩ませ思い煩うが、御父
の思いをそこで学びたい。何のためにここに置かれているのか、何
もわかっていない自分が問題なのではないのか考えさせられる。