2017年02月10日(金) 「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」Uコリント7:10
「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」Uコリント7:10
「神のみこころに添った悲しみ」と「世の悲しみ」がある。前者は 「悔い改め」に至り、後者はただの「後悔」だ。世の悲しみ=後悔 は、どこまでも自己中心だ。結果がまずい事を、悔いるだけで、自 分が悪いとは思っていない。悪いと思っていないので、同じ事を繰 り返す。そのためどんなに悔いても、そこに救いはない。 神の御心に添った悲しみは、まず神に向き、自分が悪かったと認め る。罪を犯したのは、あくまでも自分であって、人のせいでも、状 況のせいでもない。それを認め、神に悔い改める。その結果、罪は 赦され、新たにされる。犯罪を犯し、警察沙汰を起こした少年が、 少年院に入った事は嘆くが、それを犯した自分自身の罪を認め、悔 い改めていなければ、同じ事を繰り返してしまう。 悔い改めとは方向変換だ。神に向き、今までと反対方向へ向かうこ とだ。悔いは感情だけだが、悔い改めは感情と意思、行動が伴う。 これは神のわざであり、人が選択するなら、御霊は助けて下さる。 ユダは主を裏切って、悔いたが、悔い改めは無かった。主に向いた のでなく、律法学者のもとへ行った。それは死をもたらしてしまっ た。 悔い改めは、豊かな実を結ぶ。失敗をも益として下さり、失敗によ って、間違った方向へ向かっていた人生を取り戻させて下さる。何 という恵みだろう。そのまま行っていたなら、どうなっていた事か。 豊かな赦しを受け取って、前に進める。それは救いに至る悔い改め だ。 ------------ 実を結んでいく悔い改めが大切だ。悔し涙でも言い訳でもなくただ 神に向かって憐れんでくださいと祈れる。くり返す失敗の後悔は豊 かな実を結んでいるだろうか。