2017年05月13日(土) 「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいの です・・今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となって います」ピレモン10
「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいの です・・今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となって います」ピレモン10
神の摂理、ご計画、神視点を見ることができる。オネシモは主人の 物を盗んで、逃亡した。奴隷が自分の主人の物を盗み、逃亡とは、 大きな罪だ。あってはならない悪事だ。しかし、神の側から見ると、 別な見方がある。神は、このような災いをも、益とされて、ご自身 の栄光へと変えて行かれる。 オネシモが逃亡した事により、ローマに行く事になった。そこでパ ウロと出会い、主の救いを受けた。否定的な、害であるような事柄 さえも、神は益と変えられる。いっさいの起こる出来事が、神の許 しの中であり、主権のもとであることを認める時に、物事の見方、 人生の見方が全く変えられてしまう。 神視点で見る時、オネシモが一時、主人ピレモンのもとを離れたの は、彼が永久に主人のもとにいるためだった、となる。神視点で、 目の前の事態を見、人生を見るなら、どんなに幸いであり恵まれる 事だろう。兄たちの悪意でエジプトに売られたヨセフも、兄たちと 再会した時に同じ事を言った。 「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことの ための計らいとされた」と。兄たちは悪意であったが、神はその悪 意すら良い事の計らいとされた。エジプトの総理大臣とし、大飢饉 の中、ヨセフによって一族は命を取りとめた。今、目の前の事態を 単に出来事だけでなく、それを神視点で捕らえよう。豊かな恵みと される。 ・・・・・・・・・・・ 目の前に痛い事柄、苦しい事態事が生じる時、それだけを見るなら 苦しいばかりだ。しかし神視点に立つ時、「この事により、何を教 えて下さっていますか」の問いに変わり、結果的に摂理の神に出会 って行ける。そこに神の恵み、み思いを見て、ご愛に触れる。