2017年10月13日(金)

「・・わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」ヨハネ6:63



ある人が、厳しい試練の下にあった。余りにも辛い日々に、心は押
しつぶされそうで、もう御言葉を読むことも、祈る事も出来なかっ
た。気力が無かった。神がいる事はわかるのだが、自分は祝福され
ていないと思い込んだ。他の人々がとても幸福そうに見えた。自分
は惨めで、心が滅入り、落ち込んだ。しかし、主に在る人たちが、
自分のために祈ってくれていた。

しかしそこにすら思いが行かないほど、もういっぱいだった。声か
けや御言葉で励ましてくれた。後で振り返ると、苦しい中も、周囲
が送ってくれる御言葉で生かされていた事に気づく。ある時、牧師
夫人と遠方の友人からの励ましの手紙に、全く同じ御言葉が書かれ
ていた。その時、これがまさに主からの、自分への言葉と受け取れ
て、自分への御心と信じることができた。

素直に受け入れる事ができた。その時から倒れていた自分が、起き
あがる事ができた。又、ある人は、非常に辛い試練の中で、心身弱
り果て、もう考える事も、祈る事もできず、何もどうにもならなか
った。心は沈むばかりで、聖書を読む事もできず、ある時、聖書を
パラパラと見ていた。読むのでなく、ただぼうっ〜と、見ていたと
いう状態だった。

しかし、驚いた事に、そのぼおっと見た言葉が、突然、心に響いて
来たのだ。無気力な心に、主が臨んで下さった感じだった。御言葉
により再び立ち上がることができた。どんな時にも、私たちを生か
してくれるのは御言葉だ。主は悩みの時に、御言葉を与えて下さる。
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自分から神のもとに行けない時であっても、恵みは追いかけて、い
のちの御言葉で引き寄せてくださる。こうしていつも御神に結び付
けられて生きられる。感謝だ。