2002年08月13日(火) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24)
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24)
クリスチャンの人生は安易な、楽な道 のりだろうか。答えは簡単ではないが、 聖書に出てくる聖徒を見ていると、彼ら の人生は楽なものではなかった。 パウロは鞭打ち、石打ち、難船、川の難 盗賊の難、飢え乾き、食べ物もなく・・と これ以上の試練もあるまいと思えるほどの 苦境に会っている。確かに従い始める前は これらの生活はなかった。神は、はっきり と自己否定を求められる。安易な楽な道で はない。パウロは、自分に与えられた行程 を走り尽くした。どんな犠牲を払っても忠 実に歩み続けた。神の福音を証しする事が できるなら、命も惜しくないと言った。 私達にはパウロの模範がある。あなたは楽 な道を求めているか。主に従って行く事は 正しい事だが、簡単な事はめったにない。 主に従う歩みに困難はある事を覚えよう。