2018年07月13日(金)

「『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか』しかし、彼は黙っていた」マタイ22:12



天の御国の事をたとえで話されている。神は、王子のために結婚披
露宴を設けた王として記されている。神はしもべを遣わし、披露宴
に招待しておいた客を呼びにやる。しかし彼らは、畑に商売にと忙
しく、自分のしたい事があり、そちらを選択した。それだけでなく、
何と神が遣わしたしもべ達を殺してしまった。

神の愛を無視し、踏みにじり、仇で返し、恵みを拒否し、退けてし
まう。招待客に拒絶された神は、次にしもべを大通りに遣わし、誰
も彼も皆、招いた。そのため披露宴には大勢の人が集まった。老人、
若者、取税人、遊女、貧しい人、金持ち、ホームレス、酔っ払いと、
良い人も悪い人も皆、招かれた。ユニークな披露宴だった。

その中に礼服を着ていない者が一人いた。この場合、礼服は用意さ
れた。大通りで出会う人々であり、礼服など誰も持っていない。そ
の神が備えた礼服を、拒否した者がいた。招待は拒まなかったが、
礼服は拒んだ。違った目的で宴会に来ていた。それは自分の服のま
まで、自力で生きて行くという事だ。礼服とは、御子の十字架の贖
いだ。

十字架で流された主の血潮は、義の衣として私たちに与えられる。
「良い人も悪い人も」この無代価で用意された義の衣を着る事によ
って、王の披露宴に出る事ができる。何かの功績で選ばれたのでは
ない。自分の衣でなく、義の衣を着る=ただ主を信じる人が、罪赦
され、素晴らしい喜びと光栄の宴会にあずかる。
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主は全てを用意して罪を赦そうと待っていてくださるのに受け入れ
る人は少ない。主の十字架によって贖われたことを深く感謝し、罪
を赦されて生きる幸いを証ししたい。